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マーガレット・ローズ(Margaret Rose Armstrong-Jones, 1930年8月21日 - 2002年2月9日)は、イギリスの王族で、イギリス国王ジョージ6世(出生時にはヨーク公)の次女。母は王妃エリザベス。姉は女王エリザベス2世。 == 生涯 == 1930年、ヨーク公アルバート(後のジョージ6世)と妃エリザベスの次女として誕生した。1936年、伯父エドワード8世の退位にともなって父アルバートがジョージ6世として即位、家族とともにバッキンガム宮殿に移住する。第二次世界大戦中は両親と離れ、姉エリザベスとともに田舎に疎開していた(姉エリザベスは一時期、陸軍少尉として従軍)。 1944年、ジョージ6世が「空の英雄」大佐を侍従武官に任命したが、王女は一目で恋に落ちる。2人の関係は長く秘されたが、1953年の姉エリザベス女王の戴冠式で王女と大佐の仲むつまじい姿がメディアに暴露された。 政府首脳と王族たちは、記憶も新しいエドワード8世の退位の二の舞を演じさせまいと厳しい姿勢をとった。離婚歴があり16歳も年上の大佐と結婚するならば王位継承権はおろか王族としての年金受給権も剥奪すると告げ、英国国教会としても結婚を認めない、と決定した。周囲の全ての人間が2人の敵になるような状況の中、彼女自身の身を案じたのはその恋の始まりから知っていた姉エリザベスだけで、母エリザベス王太后ですら冷淡であった。しかし女王自身、彼女の結婚を認めさせたかったのではなく、穏便に2人が納得して別れることを望んでいたとされる。 1955年10月31日、クラレンス・ハウス宮殿で王女は大佐と会うことを許され、それが最後の別れとなった。大佐はベルギーのイギリス大使館に異動させられた。BBCは、「私はピーター・タウンゼント大佐と結婚しないと決意したことを、ここにご報告します」との王女の声明文を放送した。 何人かの上流階級の男性と浮名を流した後、1960年、写真家のアンソニー・アームストロング=ジョーンズと結婚した。彼は王女が浮名を流した相手の1人である既婚のの友人だった。結婚にあたり、アンソニーにはスノードン伯爵が叙爵された。 ファッション写真や王室写真家として活躍するアンソニーと結婚し、長男リンリー子爵デイヴィッド (リンリー子爵)と長女セーラの2子を得、ようやく幸せになったと周囲は思ったが、一方で自身の婚約直前にタウンゼント大佐が王女似のベルギー人女性と結婚したことにショックを受け、衝動的に婚約したという噂も囁かれていた。そしてファッション業界で生きる夫の乱れた生活 ― 薬物乱用や派手な女性関係、同性愛関係などに始終悩まされ、結婚生活は早いうちに崩壊したという。1960年代後半から1970年代前半にかけては自身もマスティク島でパーティー三昧の生活を送り、ゴシップ紙の常連となった。 1970年代初め、コリン・テナントに紹介され、自宅で雇った庭師である17歳年下の準男爵のと2人きりで旅行に出かけたところを飛行機内で写真に撮られ、王女の浮気が明るみに出た。その後スノードン伯爵とは離婚し、離婚後は、ミック・ジャガー、ピーター・セラーズなどの有名人との浮き名を流した。次第に落ち着きを取り戻し、ロイヤル・バレエ団の後援など芸術文化活動の中心人物になる。王室内で孤立しがちだったダイアナ皇太子妃が頼ったのは、慣例にとらわれない人柄であったマーガレット王女であったという。 1995年、ベルギーでタウンゼント大佐が死去したが、同じ頃に王女も脳卒中で倒れ、車椅子の生活になった。 2002年2月、薨去。100歳を越えた長寿の母、エリザベス王太后は娘の死にショックを受け、3月30日に後を追うように崩御した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「マーガレット (スノードン伯爵夫人)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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